2016年04月29日

有難い連休の思い

今年も今日から連休に入った。
そして、相変わらず我々の会社は例年と変わりなく全員が出社している。
こうしたことを何十年続けてきたのだろう。
いつになったら世の中の人々と同じ様な連休が訪れるのだろうか。
恐らくその日は訪れないのかも知れない。
そして、それでいいのかも知れない。
何故なら、連休を休むことが大事なら、とっくにみんな会社を辞めているだろう。
でも、みんな誰も会社を辞めようとはしない。
確かに、みんな休んでいる時は、自分達も休みたいと思うのは当たり前である。
勝手かも知れないが、きっと休むことより大切なことがあるからだ。
その大切なことは何か、・・・それは・・・夢。
我々はみんなで叶えたい、・・・夢がある。
そのために、私をはじめ、力がない我々が、
普通ではできないことを成し遂げるための絶対時間が不可欠なのである。
それをみんな分かっている。
たった一度しかない人生をどのように歩みたいか。
それを決めるのは己自身。
きっと彼らや彼女らは、それを選択した結果なのだ。
そして、彼らや彼女らの家族もまた、その姿を温かく見守ってくれている。
私は本当によい仲間に出逢えたとても幸せな人間である。
同じ道を求めて真剣に歩んでくれるみんなに出逢えたことを心から感謝している。
連休が訪れると、毎年そのとをつくづく有難く、とても幸せに思う。
ありがとうございます!









posted by kurihara at 21:09| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月26日

よろしくお願いします。

新しいことは、多くの人に直ぐに認められないから新しいと言える。
しかし、それが本当に良いものなら、いづれ多くの人たちが認める。
そこまでの道をどのようにつくっていくか。
それは実にたいへんな道程であるが、
その遣り甲斐には計り知れないものがあり、自ずと物語が生まれる。
そこに登場する一人一人が主役であり、一人一人の貴重な人生がある。
そして、そんな物語に登場できるのは実に幸せなことである。
苦難な中で一生を終えるかも知れない。
だから、新しいことに挑戦する人はそれほど多くはいない。
多くの人が、安全で、安定した、波風のない人生を望むのは当然な選択である。
特に歳をとってくると、体力も衰え、余計にそうした道を望むようになるのは常であろう。
その選択を決めるは何だろうか。
何か、そこに訳があるのだろうか。
いや、訳は何もない。
素直にそうしたい、いやそうしたいと思う前に、既にそうしている。
性分としかいいようがないのであろう。
私にそうした性分が多少あるような気がする。
そんな性分を持ち合わせた私と一緒にいる人たちには本当に申し訳ないが、
自分の運命と思って諦めてもらうしかない。
でも、いつも真剣に新しい明日を創ろうと全力投球している。
そして、必ず明日が訪れることを信じて毎日を生き切っている。
これからもそう生きていこうと思っているので、よろしくお願いします。












posted by kurihara at 23:24| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月12日

新しい価値観

桜の花が散ったかと思ったら、既に若葉が元気に顔を出している。
植物について詳しくはないが、恐らく自然はすべてそうなのだろう。
新しい命は、華々しい姿に隠れてはいるが確実に育っているのだ。
だから何も心配することはないのだ。
あれやこれや心配するのは老婆心をもつ自分なのであって、
若い人たちはみな元気に新しい未来を創っているのである。
自分の価値観でこうの方がいいだろう、なんて考えるのは間違いなのだ。
自分の価値観は既に歴史の中にあるので、
若者はいつも新しい価値観で、彼らや彼女らの新たな未来を創っていくのだ。
同じことを自分もやってきのではないか。
こうした考えに及ばないのは、実に情けないことである。
明日からは、「違うな」、と思って直ぐに口にする自分に、
「待て!」と思って、無暗に口にすることを控えようと思う。
思えば、父は私が口にしたことを否定したことは一度もなかった。
きっと今の自分のような気持ちだったのかも知れない。
私の人間力は父より10年以上遅れている様だ。
もっと人間として成長しなければならない。
「出藍の誉れ」にならなければ、私を愛してくれた父に恩返しができない。
がんばろうと思う。











posted by kurihara at 22:46| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする