2016年12月29日

年末の幸せ

今年も後三日で終わる。
今日は午後から母に会いに行く。
三十三年間、年に一回、年末は必ず会いに行く。
そして、一年間の様々なことを母に話す。
母は優しい目をして、私の話を黙って頷きながら聞いている。
まるで私のすべてを見通しているかのように、幸せそうな笑顔で聞いている。
私の話を聞けるだけで、母は十分幸せなのである。
自分の息子も年末には帰ってきていろいろな話をする。
私もただ黙って彼の言うことを聞いているだけである。
そう言えば、「信」という字は、「人が言う」と書く。
信とうのは人の言うことをただ黙って聞けるということなのだ。
お互いに信があれば、ただ黙って聞くということになるのだ。
そして、話している方も、聞く方も、共に幸せなのだ。
母は今年で九十一歳になった。
あと何年こうした幸せな時間をもてるだろうか。
私は今年で六十五歳になった。
あと何年子供の話を黙って聞くことができるだろうか。
それは分からないが、年末にこうした時間を頂けることに心から感謝している。
毎年、年末に幸せを感じられる自分の人生を心から有難く思う。
そして、力の限り、この幸せの恩返しをできるように、一生懸命生きていきたい。












posted by kurihara at 10:42| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

心に思うことを徒々なるままに

「ふるさと」を謳うといつも目頭が熱くなる。
そして毎年、年末に気がつくとこの詩を謳っている。
この詩がなぜかとても好きだ。
いつ頃からこんなに好きになったのだろう。
きっと故郷を離れて東京で暮らすようになった頃からだろうか。

志を果たして・・・いつの日にか帰らん・・・。
このパートが特に好きだ。
この歳、65歳になって、これから志を果たして、はないだろう・・・?
とほとんどの人が思うかもしれないが、
愚かな自分はそんな考えはこれぽっちもない。
自分でも呆れるほどに、
「いや、まだまだこれからだ!」
と思っている自分は、常識的には確かに狂っているのだろう。
しかし、常識とはい一体何なのか?
それが貴い自分の人生にとって一体どんな価値があるのだろう。
いや、まったく価値はない、と私は考えている。
大切なことは、一人一人が授かった、世界で唯一の自分を最大限大切にして、
思う存分生き切ること。
己の可能性は己自身もわかっていない。いわんや、他人に分かるはずはない。
この貴重な命が燃え尽きるまで、これからも全力投球で生きていきたい。
もちろん、それは自分勝手に生きていくこととは違う。
自分がいなくなった時、次代の人々が困らないように十分手を打っておく。
それも精一杯生きていく道程の中に含んでおく。
「発つ鳥、跡を濁さず」
今年もあと数日だが、そんな生き方ができただろうか?
そんなことを考えた一日だった。












posted by kurihara at 21:29| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

年の瀬に思うこと

師走も半ばを過ぎ、今年も残りわずかとなった。
今年も有難くも無事年越しすることができそうである。
こうして何十年にも渡り無事年越しができることに心から感謝している。
当たり前なことはこの世には何一つなく、すべて奇跡である。
そのことを得心できるまで、愚かな自分はたいへん長い年月がかかってしまった。
そして今年もいろいろなことはあったが、年の瀬を迎え心から幸せを感じ感謝に堪えない。
物事はすべて善悪はなく、善悪を決めるのは自分の解釈力である。
その解釈力を広く、深く、大きくするためには、様々な経験と解釈力の鍛錬が必要である。
それと、堪忍が必須かも知れない。
この堪忍ということが、自分は一番苦手である。
「堪え忍ぶ」ことは、言葉を変えれば、黙って時間の経過をひたすら待つ、ということである。
言い訳を一切せず、説明を一切せず、無言のままただひたすら黙って時間が過ぎるのを待つ。
場合によっては、既に自分はこの世に存在していないかも知れない。
それでも黙って、ただひたすら歴史の正しい解釈を待つ。
こうしたことは、実は人類の歴史において沢山あった。
大切なことは、偽ることなく、己が信じられる己自身をつくり上げられるか否かである。
それが大切な人生の最終形であろう。
そして、今年の最終形も、そうした一年であったことを確かめて新しい年を迎えたいと思っている。

















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posted by kurihara at 22:27| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする