2017年01月31日

学問の習慣

今日で一月が終わる。
一つ一つの仕事を丁寧に積重ねながら、みんな一生懸命にこの一ヵ月を過ごした。
結果は静かに待てば、自ずとあらわれてくる。
「走った距離は裏切らない」
またどのように走ったか、その中身は自分たちが一番良く知っている。
「自信」はそこから自ずと生まれる。
そして、今まで積み上げてきたものの成果が着実に目に見えて表れつつある。
沸点に近づきつつあることの兆候が確実に見えはじめている。
また、今月はその沸点に近づくための触媒のようなことも起こった。
自分たちの努力とは別に、天が味方してくれて、より良い環境が整い出した。
いづれ訪れるだろうと思っていたのだが、
私の読みが誤っていなければ、我々にとっては有難い環境を授かりつつあるのだ。
今までそうした観点から自分たちの立ち位置を俯瞰することはなかったが、
MOTで学ばせて頂いたお蔭で、そうした視点が備わってきたように思う。
やはり学問をすることはとても大切なことなのだ。
今年は是非みんなが学問をする機会をたくさん設けられるようにしたい。
何か明確な目的があるからだけでなく、「学んで問う」という習慣を身につけること。
それが新たな自分を発見し、新たな未来を導き出す。
そうした学問の習慣が社風になればいいなぁー、と思っている。












posted by kurihara at 23:05| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

金太郎飴の自分

私は人の言葉をそのまま受け止めてしまう。
それが本心なのか、それともその場の言葉なのか、その見分けがつかない。
この歳をして、こうした状況は甚だ自分自身でも呆れるばかりである。
想えば、運転免許をとった頃、40kmのところは40kmで走った。
このことだけで自分がいかなる人間か、明確である。
「三つ子の魂」というが、今でもその本質は少しも変わらない。
私の本質を見抜いて、部下に遣うものならそれなりの仕事をしたかもしれない。
だから学生時代は先輩から結構可愛がってもらった。
先輩からすれば、とても分かり易く、つかい易い人間だったのだと思う。
要するに、昔の金太郎飴のようで、どこまでいっても同じ模様が出てくるのである。
良く言えば純粋。言い換えれば、単純なただの阿呆なのだ。
だから理数系は幼いころから結構強い。
化学のように化けてしまうものは好きではなかったが、物理は好きで得意だった。
「物」の「理」を知ることや調べることは本質的に好きなのだ。
そうした意味では今の仕事は結構向いていたのかも知れない。
神様がそれを知っていて授けてくれたのかも知れない。
即ち天命だったのかもしれない。 いや天命だったのだ。
だからこそ今、毎日を感謝しながら一生懸命に生きていくことができるのだ。
何と有難いことだろうか!
明日も力の限りを尽くして悔いのない一日を生きていきたい。









posted by kurihara at 23:07| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月20日

幸せな一日

今年が始まり早二十日が過ぎた。
あっと言う間の二十日間だった。
まったく同じ様に、六十五年の歳月が過ぎた。
そして、今日は何故かとても幸せな一日だった。
と言って特別なことがあった訳ではない。
そして、考えてみた。
なぜそんなに幸せに感じるのか?
それは、一生懸命やっている仕事がお客様に認められ、喜ばれていること。
そして、新たな未来が開かれていくことの兆候が益々明らかになってきていること。
それを社員の皆が感じて、これからも一層頑張ろうと笑顔で週末を迎えられていること。
そんなことを年の初めの一月に感じられることは実に有難く幸せなことである。
六十五年の間には大変なことも、辛いことも確かにあった。
しかし、それは大きな問題ではない。
今日も、美味しく朝ごはんを頂き、お昼ご飯も食べ、夕食も頂いた。
それなのに何の不満があるか。十分過ぎるほど幸せな一日である。
こんな最高の幸せに感謝して、明日も力の限りを尽くして懸命に生きていこうと思う。





posted by kurihara at 20:56| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする