2017年09月27日

旅立ち

とてもいい人生だったよ。

幸せだった。

ありがとう。

みんなによろしく。

(平成29年9月26日午前9時24分)

という言葉を残して、大切な人は遠く旅だった。
代々大工の娘に生まれ、昔ながらの職人の家で厳しく育った。
泣き言は一切言わず、どんな時も前を向いて歩んできた。
その後姿には、いつも凛とした美しさがあった。
勉学好きで進学校に進みたかったが、
大工の娘の進むべき道ではない、と親に反対され諦めざるを得なかった。
嫁に行った先で苦労を重ね、60歳までを働き詰めで過ごした。
60歳からしばらくの間、ある組織のボランティアをしながら働いた。
その当時の写真を見ると、
他の人のために少しでも役立つ仕事に没頭する美しい笑顔があった。
兎に角、働くことが大好きだった。
そして、働けることにいつも感謝していた。
野草が好きで、庭にはいつもたくさん野草を咲かせていた。
今ごろは、秋の七草が野山に咲く姿を求め一人車で郊外に出掛けた。
今朝も、吾亦紅を窓岸に見ながら、秋晴れの中を旅立った。
81歳を過ぎて、故あって備前に赴き、備前焼の麓で数年を過ごした。
既に足が少し不自由で、手押し車を傍らに岡山に一人旅立つ時も、
「大丈夫!」
と笑顔で、新幹線に乗り込んで行った。
いつもこんな風に、自分に与えられた道に感謝しながら、
真っ直ぐに、真摯に進む人だった。
あれから10年の歳月があっと言う間に過ぎた。
30年ほどの間、年に一度は必ず会いに行った。
数時間ほど一緒に笑顔で過ごし、帰り際にはいつも、
「人の役に立つ仕事ができてよかったね。身体にだけは気をつけて!」
と言って笑顔で私を送りだしてくれた。
ここ1、2年は、別れ際に微かな涙を流しながらも、力強く手を振った。
これが今生の別れかも知れない、とお互いいつも無言の内に覚悟をしてきた。
そして、ついにその日が訪れた。
遺産は、身をもって教えてくれた何処までも真っ直ぐで真摯なその生き様である。
自分のこれからの人生も、その教えの通りに歩んでいこうと思う。

ありがとうございました。

心から感謝しています。














posted by kurihara at 06:28| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

無言実行

大切な人に会ってきた。
夢現の中で一瞬目覚め、
私の顔を見てさぞ嬉しかったのだろう、泣きながら名を口ずさんだ。
二時間ほどの間、現実に戻る時間はほんの数分で、
あとはほとんど夢を見ながら、目を閉じたまま時たま手を動かしていた。
体調の良い時は、目を覚まし、煎じた食事を摂りながら、
いつも「有難い」と言っている、という素敵な笑顔をタブレットで見せてもらった。
いろいろなことがたくさんあった人生だった。
芯が強く、一瞬一瞬を、真摯に、真面目に、全力で生きてきた人だった。
その後姿をいつも見ながら、大事なことをたくさん学ばせてもらった。
「我もまた紅なりとひそやかに」
という高浜虚子が謳った吾亦紅が好きだということを、
十年ほど前に初めて私に語った。
華々しい花より、自然の野草をとても愛していた。
会う度に覚悟はしてきたが、あと何度こんな時間がもてるだろうか。
今思えば、自分の人生観のほとんどはその後姿から学んだものである。
教育とは、言葉ではなく、無言の後姿がすべてである。
何を語るかではなく、誰が語るか。
それがすべてであることを、今日も強く教えられて、
「無言実行」
の偉大さを改めて心に深く刻みながら帰路についた。
恩返しは出来なかったが、恩送りが出来る様、
明日からまた一生懸命生きていこうと思う。
そんな生き方を最も喜んでくれる、と確信している。











posted by kurihara at 00:29| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

存在のシステム

在宅で、時間にフレキシビリティのある働き方を望まれる人はかなり多い。
事情は様々だが、それが可能となるなら、多くの人がより豊かになれるかも知れない。
ITやIOTやICTを、そんな働き方を実現させるためのツールと捉えるととても夢がある。
時間も、場所も、距離の問題も一気に解決できるからだ。
しかし、その可能性を、認識で分かっている人は多いが存在で分かっている人は少ない。
我々が新規事業を進めるプロセスで、必要に応じて開発したシステムがあるが、
そのシステムはひょっとしたら、多くの人々にたいへん素晴らしい未来を提供できるかもしれない。
そんなことを、今回応募を頂いた方々と面接させて頂く中で強く感じた。
そうした可能性について、当初から想定はしていたのだが、今回はそれを遥かに超えたものを感じる。
やはり、「認識」と「存在」とは、まったく次元の違うものである。
そして、こればかりは説明の仕様がない。
例えば、言葉では表現できないほどの感動や喜び、悲しみや辛さ。
それがまさに「存在」ということであり、
その「存在」を実感できることが、「生きている」ではなく「生きていく」ということなのだと思う。
我々が開発するシステムは、常に認識ではなく、存在のシステムでありたいと強く思っている。















posted by kurihara at 21:32| 東京 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする