2018年02月27日

幸せへの王道

無意識の内に意識していたこと。
自分では気が付かないが、振り返ったらそうなっていた。
人生にはそんなことがある。
私もそんな経験の持ち主である。
生まれた環境や状況からいつの間にかそうしていた。
既定条件とでも言おうか、自分では意識していないのだが、
人間は環境に規定される生き物かも知れない。
その結果の良し悪しは誰もわからない。
しかし、確実にそうした力が働くことはある。
人間の力を超えている、とも言えるかもしれない。
まさに自然の成り行きとでも言おうか。
それで、幸せになれるか否か?
その答えは誰にもわからない。
ただ分っていることは、たった一度の人生なので、
その道を選んで自分は悔いがないか否か、
そのジャッジは自分でするしかない。
そんな決断を何度もしてきた。
それもあまり悩まずしてきた。
即断即決が多かった。
正解がないのだから、悩んでも仕方ない。
それでいい、それがいい、やるしかない。
その理由は何でもいい。
ただ、人のせいにしないこと。
自分が選んだ道だとどんな時も言う。
そんな生き方ができればそれでいい。
そして、今の日本はそれができる国であることに感謝である。
そして、どんな時も感謝ができる人の人生は幸せに繋がる。
感謝こそが幸せへの王道であることを知って欲しい。









posted by kurihara at 23:18| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

解釈力を磨く

人生の中で空白の時間帯がいくつかある。
このことについては前にもブログで書いたことがある。
自分がその時何をしていたか、どんな状況であったか覚えがあるが、
世の中がどう動いていて、何があったかはまったく記憶にない。
そんな経験がない人は、きっととても幸せな人生を歩んできたと言える。
そんな人は、時にそれを平凡な人生と表現するかも知れないが、
決して平凡ではない。
それこそ非凡な人生である、と私は考えている。
しかし、いくら私がそう思っても、その人はそうは思わないだろう。
水が普通に飲めるのは今の日本であれば当たり前なこと。
でも、それは決して当たり前なことではない。
眠くなったらいつでも床に就けるのは決して当り前なことではない。
そんな日常の一つ一つのことに深く感謝しながら生きていくことができたら、
それはどれほど幸せな人生であろうか。
してみると、幸せは日常の中に山ほどある。
それに気付くか否か?
しかし、自分は些細なことに不満を言い、些細なことで腹を立て、
なんとも愚かで浅はかな人間であろうか。
せめて一日を終え床に就く時に、そんな自分を反省しなければならない。
物事はすべてが解釈次第なのである。
その解釈力を日々磨いていかなければならない。
人間としての成長は生涯留まることはない。








posted by kurihara at 00:01| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

生きたかった人の想い

人はそれぞれの持ち味がありそれぞれの良さがある。
画一的な価値基準から人の良し悪しをはかることはまったく意味がない。
それぞれ自分がこれで良いというものやことを命がけで追い求める。
それこそが貴い生き方であり、それを当り前にやれる。
そんな環境が地球上のすべての人にもたらされる。
いつの日かそんな日が訪れることを願っている。
そして、そのために少しでも力になれるなら、
そんな嬉しいことはない。
しかし、現実はそんなに甘くない。
まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ・・・・・である。
自分自信の身の回りのことさえそうすることが難しいのだから・・・。
でも、想わない限り物事は何も達成しない。
どんなに不可能と思うことも、どんなに困難であると考えることも、
最初の一歩をはじめない限り、その先は何も生まれない。
但し、その一歩は周到に考えられた一歩でなければならない。
経験捉のものをすべて洗い出し、同じ失敗はしてはならない。
この一瞬の生を許されたものとして、
無駄な生き方を決してしてはならない。
何かに誰かに感謝する自分があるなら無駄なことは一切してはならない。
もっと生きたかった人がいたことを、決して忘れてはならない。




posted by kurihara at 23:52| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする